10月18日(土) 練習日誌

2025年10月22日

18日の練習日誌を書かせていただきます。今日はゆなの仕切りで一部練でした。初めてとは思えないぐらい仕切りが円滑で、しっかりチームのことを考えて練習メニューやミーティングを価値あるものにしているなと感じました。もうすぐ新しい幹部が決まります。約2週間かけて幹部を決めるミーティングを行いましたが、みんなそれぞれやりたいこと、考えていることがあって、新しい一面やそれぞれの考えを見れたような気がします。理論的に話すタイプだと思っていたのに、以外に感覚派だったり、あまり幹部という組織のあり方について考えていないと思ってた人が実はめちゃくちゃ本質をついたことを言ってたり、それぞれ違うチーム像、リーダー像があって、とても面白かったです。2回生のみんなは、お互いに役職の推薦理由を話し合って決めてないので知らないと思いますが、全員の意見を聞いた私の立場から見ると,みんな2年間でお互いを知って、この人ならこの役職を任せられるだとか、誰がやっても責任感あるから大丈夫的なことを話してる人が多くて、2年間できづいてきた信頼関係や他者への理解がみられてとてもいいチームだなって感じました。次の代は、プレイヤーが少ないこと、県大が1人しかいないなど、一人一人の仕事量が多くて責任が重く、苦労することも多いと思います。でも、ミーティングで聞いた感じきっと最後まで幹部の仕事を頑張ってくれるだろうと思ってます!自分的に、2回生はスペックが高い人が多いと思ってるので、切磋琢磨して頑張ってもらいたいです‼︎

77-25

失礼します。本日の練習日誌を書かせていただきます。OB会で叱られました西村公喜です。ついに次期幹部がきまりました。今年の主将、主将補佐は、3択くらいあって先輩方も同期も選ぶのは難しかったと思います。何かを判断する時は自分なりの判断軸を決めなければなりません。団体戦優勝を全力でとりに強いメンバーをより強くできるエゴ丸出しのチームにするのか、規律や秩序を守った保守的なチームにするのか、メンバーひとりひとりのモチベーションに配慮し全員が楽しむ事を第一にしたチームにするのか、来年をどんなチームにしたいのか幹部一人一人がイメージして作り上げていかなければなりません。何が正解とかないですが部員の意思をまとめることでより充実した部活生活になると思っています。まあこんな事言ってますが僕自身も覚悟が決まっているわけでもないです。来年はきっと幹部内でも荒れるし、部員の1人や2人辞めることになるかもしれません。でも、ここまで一緒に過ごしてきて多少みんなの事わかったつもりです。誰がどんな役職でどんな思いを持っていようとチームを健全に運営できると信じてます。以上です。失礼します。

19-39 西村

お疲れ様です。本日の練習日誌を書かせていただきます、滋賀大1回の尾花です。

 本日は一部練ということで朝早くからお疲れ様でした。

 練習メニューは艇速練から始まり、ラウンディング2本強やってミーティングの流れでしたね。個人的に艇速練はまだまだ他の艇に追いつく事が出来ず、細かな待機が出来ていないので申し訳ない気持ちを抱えながら毎回漕いでます。

 1Rはポースタでも良かったようなコンディションだったのでスタートミスった自分は即タックしました。視界に誰もいない一上は新鮮なのでときどきポースタするのもありですね。レース展開はあんま良くないとされてる真ん中を使いました。タック回数も多くなってロスが増えましたが何とか耐えた、という感じです。コース引きの仕方もっと質問します。

 2R目は一瞬夏練ぐらいの無風?があってタックでしか進めない、みたいなつまらない時がありました。進めてるだけ偉いですね、次からはマスパン爆漕ぎします。

 さて、そろそろプレ新に向けてハーネスストラップできるようになりたいねという時期を迎えつつあります。自分はハーネスワークが0,100でしか出来ていないのでハーネスの基礎から頑張ります。

 以上です、失礼します。

19-6尾花鴻

失礼します。本日の練習日誌を書かせていただきます。夏休みが終わったのに相変わらずバイトに追われてる清水です。

今日は午前のみの1部練でした。

1部練だと朝早いのがガチでほんとにしんどいです。私は比較的近め(?)に住んでるのであまり大きな声では言えないですが、起きるの大変でした。朝に弱すぎます。弱音ばっかりでごめんなさい。でも1日が長く感じるので1部練意外と嫌いじゃないかもしれません笑

最近1回生の同回モチベが高くて、遊ぶ頻度がバグです。私はバイトがあったり用事があったりして参加率低めですが、退部する人も続ける人もみんな楽しそうで嬉しいです。また今度誘ってください!行けるかはわかりません笑笑

午後から時間が空いたので、掃除とか買い物とかしたいなーと思いながら練習日誌を書いてたのですが、夜まで寝ちゃってました。勿体無いです。夜はやっぱりバイトみたいです。ぽんぽこぽーん。

最近掛け持ち先のバイトでは中華鍋を握らせてもらえるようになりました。

初日から中華鍋を大炎上させたおかげで、毎回私の後ろに歴戦の老人達がついてくれてます。愛されてますね笑 でも、老人達は各々のやり方があるみたいでいつも私の後ろで言い争いをしてます。その間私のことは放置です。人類はなぜ争うのでしょうか。愛情って一体なんなんでしょうか。このままバイトを続けてたらわかるのでしょうか。いつか世界が平和になるといいですね。

77-00 清水

現役部員の皆さん、予選はもちろん、夏練おつかれさまでした。また、今日の練習はちょっとしか参加できなかったけど、みんなに会えてよかったです笑

予選については、通過できた人にとっても、通過できなかった人にとっても、ここまでのウィンドライフにおいて、特別なものだったと思います。いろんな反省があるとは思いますが、やはり得意風域があるかないかが重要な大会だったと思います。来年の予選に向けて、1,2回生のみんなには「この風だけは自分が一番」と思える風を磨いてほしいなと思います。

団体戦が終わってから引退録を書いていませんでした。わざとじゃありません。次の代の予選まではまだまだ戦うと思って書かずにいました。でも、自主練していなかったので正規連のラウンディングでは、徐々に後輩のみんなに勝つことはできなくなっていました。やっぱ自主点って大切だなって再認識しました。しかし、これを機に引退とさせていただきます。ここまで慕ってくれた後輩たち、本当にありがとう。今日は僕が次のステージに進むために、ここに僕の4年間のウィンドライフの変遷を書きます。僕の経験が誰かの背中を押すことができることを願って書きますが、自分語りには変わりないので、興味がある人だけ読んでいただけると幸いです(読んだら感想をくれると嬉しいです)。

僕がこの部活を発見したのは、滋賀県に引っ越す直前でした。Twitterにフォローが来て、新歓動画(2021ver:青と夏)で先輩たちが様々な場所でとにかく楽しそうに、そしてカッコよくウィンドサーフィンに乗る姿を見て、「自分もこうなりたい」と強く思ったのを覚えています。でも、どんな環境かわからず不安もあったので、高校の親友に「こんな部活があるんだけど、どう思う?」なんて相談したら、「めっちゃおもろそうじゃん」と背中を押してもらっていたので、最初からこの部活にすごく魅力を感じていました。

最終的にこの部活に決めた理由は2つあります。

1 高校サッカーでの後悔を塗り替えたかった
高校時代、僕はサッカー部の顧問とそりが合わず、やりたくない練習で力を抜いたり、練習試合でふざけたりして、たくさん怒られていました。結局、周りが10月まで続ける中、僕は1つ前の大会を区切りに4月で引退しました。その時、顧問に言われた「おまえはそうやって大変なことから目をそらしながら生きて、つまらない人生を歩むんだな」という言葉がずっと胸に突き刺さっていました。だから、大学では何かに打ち込んで、顧問の言葉を覆したいと考えていました。結果的に、この言葉に抗うこと、見返すことが、僕の4年間のウィンドライフの原動力となりました。

2 琵琶湖
せっかく滋賀県という珍しい場所に来たのだから、滋賀県っぽいことをしたかったという側面もあります。「琵琶湖でウィンドサーフィン」というパンチラインの良さにも惹かれました。

【1~2年の記憶】

入部してからの1〜2年生の頃は、まさに「楽しさ重視」でした。ブローなんて全然わからないし、考えれば考えるほどわからなくなるので、とにかく上手に楽に乗ることを考えていました。

実際に練習をすればするほど、できることが増えていくので、とにかく出艇するのが楽しかったです。そのなかでも特に、初めてプレーニングができた11月3日の記憶は鮮明です。風邪気味で鼻水を垂らしながら乗っていたんですが、水面を滑るボードのスピードに「すげー、こんなスピードでるのか!」と心の底から興奮しました。嬉しすぎて、高校時代の友達にも自慢していました。

しかし、乗るのに必死で滑走そのものを楽しめるようになったのは、安定して乗れるようになった2年生からです。楽に乗れるようになってからは本当に楽しくて、特に秋はたくさん良い風が吹くから、授業はだいたいサボって、向かい風の中を何度も湖岸道路の自転車をかっ飛ばして浜に向かっていました。道具が壊れる心配もありましたが、僕はそんなことより早く滑走できるようになりたいという思いで浜に通っていました。1年生の時、当時3年生の先輩に吹きの練習で流されレスキューされた時に怒られたこともありましたが、先輩の怖さよりも吹きを乗りこなしたいという思いが強かったです。

【3年生の苦しみ】

しかし、3年生はとてもしんどい時期でした。3回生に上がる直前、2回生の3月のNセレでは全体でビリ争いをするレベルの順位に終わりました。あの時、自分がどう成長して、どんな選手になって、どう予選を通過するのか、そのビジョンが全く見えなくなってしまいました。成長する自分を思い描けない不安が、僕を思考停止にさせていました。もし過去の自分に声をかけるなら、「その不安から逃げるな。自分の未来の姿をもっとフルカラーで、解像度高く思い描け」と伝えたいです。

そんな不安を抱えたまま、練習を続けた結果、僕は予選を通過を達成することができませんでした。これは今後の人生においても激しく後悔する出来事で、たまに思い出しては涙が出ます。

予選の最終日。僕は5レース目までボーダー争いをしていて、「次の6レース目で30位くらいで帰ってくれば通過できる」という状況でした。しかし、スタートで潰されてしまい、レース早々「やばいな」と焦りました。そして、2下マークを回る頃には、通過できないことが確定していました。自分が情けなくて、辛かったです。ふと、高校の顧問の言葉が頭をよぎりました。やっぱ顧問が言うように「つまらない人生を歩むのかな」と、本気で落ち込みました。レース後、同期のたくとに「ムツミと一緒に沖縄行きたかった」と言われた言葉が、今でも胸に突き刺さっています。

何が足りなかったのか?今ならわかります。

• 本質的に足りなかったこと: 苦手な中風(4~6m)を克服できていなかったこと。スタートが圧倒的に下手だったこと。漕ぐ体力の低さ。

• 直感的に足りなかったこと:まず、幹部運営において自分の考えをあまり反映できていなかったことです。正直、僕たちの代は練習回数があまり多くありませんでしたし、その事実をちゃんとみんなに自覚させることができていなかったと思います。その証拠に、つばさや今の3回生の代と練習していた記憶の方が多いですし、実際にノートに出てくる同回も固定化していました。どこかしら自分の殻を破れず、周りとの関係性を気にして、本当に言うべきことを我慢していました。みんなをもっと浜を呼び寄せられる人間になりたかったですね。その他にも正規練や合宿のやり方・艇庫のルールなど、僕の中では納得がいかない部分があって、それももっとみんな共有することで、より良い練習環境を作れたのではないかと思います。

• 客観的に足りなかったこと: まず何よりも、ウィンドノートの振り返りと動画の整理という「自分を見つめる作業」が足りませんでした。自分自身の現状把握をしなければ何も始まらないのに、やったことを思い出したり、先輩に言われたことをただメモするだけでした。その反省からわかることを体系的に整理する中で、知識が定着したり、新たな質問が生まれたりするのに、そういったプロセスを全く踏めていませんでした。この作業こそが、まさに「未来の姿をフルカラーで思い描く」上で必要でした。そのため、本質的に足りなかったことを自分の中で気づくことができていなかったと思います。

【4年生の挑戦と葛藤】

4年生では「入賞したい」という気持ちがより鮮明になっていきました。きっかけは3回生の和歌山での団体戦です。いろんな他大学の同期と話す中で、「卒業時に何も成し遂げていないのはかっこ悪いな」と強く思うようになりました。それと同時に、この大会を通して不思議と「来年度の自分なら入賞という目標を達成できるのではないか」という予感も湧いてきました。情けなさや悔しさと、自分への小さな期待。その両方が、僕の心に火をつけました。

しかし、現実は厳しいものでした。自分の計画では、予選を通過することは当然で、入賞を狙える位置にいて、1人でも多くの後輩が通れるようにサポートするくらいの意気込みだったのですが、蓋を開けてみたら、ギリギリでの通過でした。4回生として、この部活を引っ張り、練習もより一層頑張っていたため、自分の結果には落胆してしまいました。予選後の練習では、なぜか練習をすればするほど恥を上塗りすることになるのじゃないかと感じて、気が乗らない日もありました。「なんでこの競技をやってるんだろうか」と自問自答する中で、ウィンドサーフィンへのモチベーションは下がっていました。そのため、本戦前の大会(全日・サマレガ・北港)のリザルトは全然見れませんでした。それでも、練習に行き続けられたのはやはり顧問の言葉のおかげだったと思います。このままでは高校生の自分からなにも成長できないなと思って、練習も体幹も続けていました。この部分は評価してあげたいと思います。しかし、予選後の気持ちを整理できていないことには変わりありませんでした。自分のうまくいっていないところ(エイトの艇速の遅さ)に執着しすぎました。勝てない目の前の自分に存在価値を見い出せませんでした。少しでも自分の良いところを受け入れて、そこから改善することができたら良かったと思います。成長を感じると共に、自分を認めることができないという課題にぶつかった1年でした。

【この部活に入って良かったこと】

この部活に入って、僕の世界は間違いなく広がりました。

他大学(特に京大)の選手たちのウィンドサーフィンへのストイックな取り組み方を見て、自分との「向き合い方」の差を痛感しました。僕はどこか誰かの目線を気にして、世間体を気にした目標設定や言動をしていた節がありました。でも、それだと常に環境に左右され、何かを果たせるかどうかを運に任せることになってしまいます。「自分は何をしたいのか?」「どんな人間になりたいのか?」その答えは、自分の中から見つけ出さなければなりませんが、このプロセスこそが、自分を有言実行できる人間、そして結果を残せる人間になるために必要なのだと学びました。自分の未来の姿をもっとフルカラーで思い描けなかった理由もここにあると思います。他大は実際にどうだったのかというと、憧れの対象や尊敬する先輩が明確でした。誰のどんなところに憧れているのか?どこが尊敬の対象なのか?そういったところから、自分の中での答えを導き、練習に取り組んでいました。先輩という存在を軸に考えているからこそ、迷わないし、自信をもって行動に移すことができるのだなと思いました。

また、4回生になって結果を残したいと思ってからは、主体的に動けるようにもなりました。強烈な憧れや尊敬の対象はなくても、「入賞したい」という願望が僕を動かしてくれたんだと思います。意識的に部内外問わず、コミュニケーションを取りに行こうとしていました。結果的に、視野を広げることに繋がりました。実生活では、3年生までの自分よりも多くのことに意識を配ることができ、より一層コミュニケーションの量が増え、ウィンドでも、見えるものが増え、自分の成長を促す要因になっていました。

【社会人では】

ウィンドライフは結果的に、悔しさが勝ったものになってしまいました。この気持ちを払拭するために、今後は「結果を出す」ということにこだわって生きていこうと思っています。この部活を通して、結果を出すために必要なことをたくさん学んできました。自分と向き合い、モチベーションに左右されることなく、結果を残せる人間になろうと思います。ウィンドサーフィンでの入賞というのは叶わない夢ですが、今いる場所で成長して、絶えず結果を残していくので、今後も僕の活躍を期待してくれると嬉しいです。直近の目標は、学会で賞をもらうことです。

【今後について】

これからは本当にOBです。でも、僕はこの部活を通して人間として一層成長することができたと思います。ここでの4年半で高校時代の顧問の言葉を吹っ切れたのはもちろんのこと、明るく、視野の広い人間になれたと感じています。この部活から受けた恩は計り知れません。後輩のみんなにとってもこの部活が成長の場になることを願っています。だから、今後もこの部活に貢献できたら幸いです。人手が足りない時は呼んでください。

長い文章を読んでいただきありがとうございます。

それでは、これからは次のステージで頑張っていこうと思います。

 

以下本日のリザルトです。